Ayu, i pesci argentei dal profumo piacevolissimo e dalle carni fini e delicate

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鮎の話

 

「もとこちゃん、僕は明日から日本に行く、、、」
夏の陽もまだ高く上りきらないビエッラの森を散歩して、涼やかな空気を身に纏い、路上に出たとたん背後から高らかに声をかけられた。毛織物で栄え、日本と取引のある企業が多いこの町でも屈指の日本通で知られるエンツォだった。クルミリ・ビスケットの『への字』のように厚い口髭の上で子供のように無垢な瞳を輝かせて言った、
「鮎を食べに!
私の口から思わず『あっ』と、でた。日本に帰国しそびれても、日本を旅行したイタリア人の土産話を聞かされても羨ましさも恋しさも感じたことはあまりない。だが、この『A.YUという川魚の名前をエンツォがほとばしるように口にした時、私の生まれた町を滔々と横切る九頭竜川の川面で驚くほど長い釣竿を伸ばすアユ釣人が目に浮かんだ。小さな嫉妬と懐かしさで私の口からため息が漏れた。

九つの頭を持つ龍ほどの暴れ川として知られるその川で、夏なると、薄い銀色に輝く鮎は体長15から20㎝に成長する。秋に孵化してから翌年秋の産卵まで、川から海へそして再び川を遡り、1年という儚い一生を終える美しく繊細な回遊魚。その白い肌にまるでスイカのような涼やかで甘い香りがし、別名『香魚』とも呼ばれる。タイ、マグロ、ブリ、日本人が大切にする魚は数え切れないほどあるが、私にとって鮎は、故郷の福井と実りの秋に強く結びついた魚だった。

父もアユ釣りが好きで、夏の農作業の合間に時間をつくって川に消えていた。だが、毎年、秋になると九頭竜川の対岸からきれいに料理した鮎を持って我が家を訪ねてくる女性がいた。中野さんと言った。豊作を祝う村祭りの時期になると必ず現れ、玄関先で手をつき、持ってきた風呂敷包みをほどき、用意したものの説明をしてくれた。甘酒と和ガラシで漬けた小ナス、米麹と鮭のお寿司にむかごの白和え、そして竹で編んだ笊に並んだ焼き鮎。どれも町中で彼女にしか作れない秋の味覚だった。互いに手をついたまま、彼女と両親はその年の稔の話に耽った。面長にかけた眼鏡が高校の文学教師のような雰囲気の彼女は、実際には生活の知恵の他に農業や農業機械の知識に長け、米作りにうるさい父も一目置いていた。

彼女は、鮎を捕るのに釣り具は使わないと静かに笑った。雨が降った翌日、鮎は川岸の枯れた葦の下に隠れているのを葦を網のごとく上から抑えて捕るだけだと。場所とタイミングを逃さなければ簡単に欲しいだけ取れると言った。父も目を見張った。

父は中野さんの鮎を、これが本当の食べ方だと、頭から骨ごとかじって私に見せた。鮎の背骨は儚いくらいに軟らかい。身の繊維の細くデリケートな味わい、そして最後に口に残る内臓のうっすらとした苦みが大人の成熟した舌を唸らせる。父は必ず数匹をとっておいて翌日に新米と一緒に炊いた。醤油や酒と一緒に、程良く焦げ目をつけて焼かれた鮎のうまみと香ばしさがご飯にしみ、さらに父を喜ばせた。翌日には父も我が家の自慢の味を下げて中野さんを訪ねると、やっぱり玄関に手をついて礼を述べ、またあれこれお喋りに耽った。

私の鮎の記憶は、こんな風に煩わしい日本独特の所作の中にどんなに押し込んでも溢れ出る『食の喜び』を二つの小さな家族が交わす楽しい儀式の中に生まれた。
数年前、イル・ゴロザリオの日本の友人『料理通信』の月間を広げると、この中野さんが作った女性たちによる『若鮎グループ』の活動が紹介されていた。我が家の玄関先に広げてくれた秋の味覚は地域活性化のための立派な主役になっていた。

ふと我に返る。エンツォの髭がまだ幸せそうに笑っていた。「いってらっしゃい、エンツォ!」
嫉妬心は消えていたけど今度は空腹を感じて魚屋に走った。日本を中心にアジアの一部にしか生息しない鮎はここでは手に入らない。大ぶりのイワシを買った。背開きにして、背骨を抜き、薄塩に漬けた梅干しとバジルを詰めて、卵白、次いでパン粉にくぐらせてからりと揚げた。古都金沢の料亭が鮎の繊細な味わいを楽しむために生んだレシピは、地中海でとれたイワシの気取らない美味さになって、私の口を温かく慰めてくれた。まるでいつもそばにいてくれるイタリアの友人たちの様に!