あるがままの自然を生かす 水俣・芦北(あしきた)のものづくり

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今回、『料理通信』の友人たちは『日本で大惨事に見舞われた地域がどのように集団でエコロジーへの新認識を生み出すことができたのか』という重要な証言を僕たちに届けてくれました。その記事に与えられた大きな感動とそれを送ってくれた彼女たちへの感謝を込め、ここに掲載します。

一度は無残に破壊されてしまった土地を再生し、そこで採れた生産物への偏見を拭い去るために、水俣と芦北の人たちが一体どれほどの歳月をかけ、どれほど強くその日が来ることを信じ、どれほど粘り強い取り組みを行ってきたのか。イタリアにも同じような惨事が起こっているものの未だ解決を見ていない事実に思いを馳せ、元々頂いたタイトルにクラブ・パピヨンの重要な支援活動の一つに因んだこのタイトルを加えることで、頑張って来られた二つの地域の生産者をクラブ・パピヨンの仲間として迎えたいと思います。

パオロ・マッソブリオ 

 


 

今から約60年前、日本の高度経済成長期に発生し、多くの犠牲者を出した公害病があります。熊本県水俣市にある化学工業会社の工場から水俣湾に流した廃液により、メチル水銀汚染が起き、食物連鎖によって多くの人々が神経疾患に苦しみ、亡くなりました。環境汚染の食物連鎖で起きた人類史上最初の病気です。

 

その熊本県水俣・芦北地域を、料理通信社(The Cuisine Press)は今年2月、日本のイタリア料理界を牽引する料理人・日髙良実シェフと共に訪ねました。過去の辛い記憶から、他のどこよりも環境意識を強くし、農薬や化学肥料に頼らない農業を地域一丸となって進めているこの地域の生産者を紹介するためです。

 

そして記事が掲載された直後の4月、熊本が甚大な地震被害に見舞われました。

計り知れぬ苦難を乗り越えて再生を果たした地域が、皮肉にも再び苦難に直面している。

彼らが今回の地震からも立ち直ることを信じ、応援歌として、水俣地区の活動を世界に届けるべくIl Golosarioに掲載をすることにしました。

 

 

アシアカエビ、甘夏、サラダたまねぎで構成された春らしいアンティパストは、本取材で出会った食材で、日髙良実シェフが構成した一皿です。

熊本県の最南にある、この水俣・芦北地域には、あるがままの自然を生かしてものづくりに従事する人々がいます。その背景には、高度経済成長期に町を襲った「水俣病」の存在があります。消すことのできない歴史から人々は多くの教訓を学び、およそ60年を経た今、持続可能な農業、漁業、畜産を実践する芯のある生産者が結集するエリアになっていました。

 

いい海は、山が作る
 

「いい海を作るのはいい山だから、山で農薬を使うのはやめよう」。水俣病が海の汚染で広がったことを自分ごととして受け止め、天の製茶園の天野 茂さんは40年にわたって化学肥料や農薬、除草剤を使わないお茶栽培を実践してきました。種から育てた樹齢80年を超える在来種の茶畑は、人里離れた標高600mほどのところにあり、周囲に空気や水を汚すものはありません。

もりもりっと茂る「在来」の茶畑で、茶木は品種が様々に交配しています。

 

天野さんと日高シェフ。緑茶、紅茶、ほうじ茶など茶葉の品種や製法の異なる様々なお茶を試飲しながら話を伺いました。

 

天野さんは緑茶やほうじ茶だけでなく紅茶も生産しています。紅茶作りを始めたのは25年前のこと。手売りしていると、緑茶だけでは足を止めてもらえない現実にぶつかったのがきっかけです。

「品種が違っていても緑茶はみんな同じに見える。そこで紅茶を作って手売りに加えたら、興味を示す人が増えて」。飲んだ人に感想をもらい、求められる味を一つひとつクリアしながら味の完成度を高めていったそうです。「うちの畑が特別、紅茶に向いていたわけではない。お客さんの言葉を受け止め、それに応えることを繰り返した結果、今がある」と茂さんの長男・浩さんは言います。

 

 

一番茶は緑茶に、二番茶以降は紅茶やほうじ茶に加工。写真の「さやまかおり」で作った紅茶は、ダージリンのファーストフラッシュに匹敵する気品のある香りと味がします。天野さん手製の紅茶と大根の漬け物も絶品です。

 

未来へつなぐ、若手の思い

移動して、次に向かったのは甘夏畑です。

平地が少ない水俣・芦北地域では、斜面でできる柑橘栽培が盛んです。

 

案内をしてくれたのはエコネットみなまた農産加工部門「はんのうれん」の大澤基夫さん。「はんのうれん」は元々「水俣・反農薬連」という名前で1979年に結成されました。耳慣れた「無農薬」と違い、「反農薬」という言葉には、当時、水俣病に苦しんだ人々の思いの強さが表れています。

 

親世代が中心だった活動は、約30年を経て、子供世代が引き継ぎ、2006年に「はんのうれん」とひらがなへ。未来へつなごうと、持続可能な農業に若い世代が積極的なのも水俣・芦北の特徴です。

 

畑に着くと「ちょっと酸っぱいかもしれないけど」と、その場で絞った甘夏ジュースをふるまってくれました。透明感のあるすきっとした酸味が、きれいな空気と相まって、体中に沁みわたります。

 

柑橘の販売業を営んでいた大澤さんの両親は40年前、水俣病の患者さんが農薬を使わずに栽培を始めたミカンの販路開拓のため、11軒販売先をリヤカーでまわり、生協等への販路を作った苦労人です。両親の背中を見て育った大澤さんも、販売と並行して、甘夏などの柑橘栽培を手掛けるようになりました。

 

「ここは3040年、無農薬で栽培している人ばかり。10本ほどのミカンの木で栽培を続ける83歳のおばあちゃんもいます。その方の仕事ぶりを見ていると、少ないからこそ、一つひとつに手をかけられる。たくさん作ってたくさん流通にのせることより、人の思いがこもったものを少しでも多く届けたいと思うようになりました」。

 

大澤さんは、農家から栽培した柑橘を全量買いとる方針をとっています。

「規格外のものはジュースやマーマレードに。無農薬なので皮まで安心です。子供が生まれて、一層、今の仕事のありがたみに気付きました」

 

同じく、販売を仕事の主軸にしながら、自身でアボカドの栽培を始めたのが、水俣・芦北のオーガニック食材が一堂に集まる「もじょか堂」の澤井健太郎さんです。今年の初めには、食材とセット販売される「水俣食べる通信」を創刊し、地元の情報発信も担うキーマンです。

 

棚には同じ志を持つ地元生産者の野菜や調味料、米、茶、海産物など、暮らしに密着した食材がずらりと並びます。水俣には様々な食の現場で、環境に高い意識を持つ生産者がいることが一目瞭然です。「教科書のモノクロ写真でしか水俣のことを知らない人は多いと思います」。

そういう澤井さんも、生まれ故郷とはいえ、育ったのは熊本市内。20年ぶりに戻ると、自然に対して同じ過ちを繰り返さないよう、誠実にものづくりを続け、販路も自分たちで開拓する生産者たちの姿に衝撃を受け、人生の舵を大きく切ることになったそうです。そのきっかけになった生産者の一人が、次にご紹介する丸田有機農園です。

 

自家製肥料で畑から病気をなくす

 

 

「畑におるのが一番。外に出かけると疲れるたい」と話すのは、自家製肥料で野菜を作る丸田さん夫妻です。魚のアラを釜で煮込み、もみ殻と米ぬかを合わせて発酵させた「ぼかし」と、もみ殻を灰にした「燻炭(くんたん)」、二つの肥料を自家製しています。

 

「ぼかし」は農閑期の冬に仕込みます。「燻炭(くんたん)」は米の収穫が終わった後の田んぼで作ります。

肥料を自家製するようになって15年、田畑に病気が出なくなったそうです。

「工夫すると作物がおいしくなるでしょ。だから、畑にいるのが面白くて仕方ないのよ」と奥さま。丸田さんは、野菜の売り先を自力で開拓してきました。

 

農作業が元気の素という、丸田夫妻。 今も野菜の行き先はほとんど決まっているという人気ぶりです。田畑を遊び場のように楽しんで、生涯現役で農業を続けるお二人の生き方は、地元の若い世代にとって大きな刺激と励みになっています。

 

高校卒業前に豚10頭を飼い始める

もう一人、若い世代を刺激する生産者が「モンヴェール農山(のうやま)」の農山照夫さんです。現在64歳の農山さんは、高校卒業前にすでに豚を10頭飼い始め、進路を養豚に定めていたそうです。

 

豚は現在4000頭まで増え、肉の販売のほか、ソーセージなどの加工を、豚肉加工の技術を学んで実家に戻った長女の春香さんが手掛けています。敷地内には一面ヒノキの林が広がり、深い緑の奥には家族で運営するレストランも。建物は避暑地を訪れたようなリゾート感溢れる空間です。

 

檜の森に囲まれたおいしい空気ときれいな水で育つモンヴェールポークは脂の上品な甘さが特徴です。

 

農山さんは養豚を始めて10年後に肉屋を始めました。市場価格が安定しないことに気づいたからです。持続可能な経営にするため、自分で育てたものは、自分が納得する適正価格で売る。しかし、この決断は膨大な仕事を引き受けることも意味しました。

 

再生した水俣・芦北の海へ
 

 

 

水俣の再生は、海の再生をも意味します。育てる漁業、スモール漁業を掲げ、また観光船としての需要も開拓しながら、持続可能な漁業経営モデルを目指す活動が各所で行われています。なかでも真っ白な帆を掲げ、風にまかせて漁をする「うたせ漁」は、芦北町に来たら一度は目にしたい光景です。

最初に登場したアシアカエビはこの漁法で獲ったものです。

 

水俣市漁協では海の再生活動として「海藻の森プロジェクト」を実施、2013年からは日本最南端の真牡蠣の養殖が始まりました。さらに、2014年から牡蠣小屋をスタート。水揚げされたばかりの牡蠣や牡蠣ご飯、あおさの味噌汁が味わえます。地元に足を運ぶからこそ体験できる鮮度が作る味は、ひと冬に何度でも訪れたくなります。

牡蠣固有のクセがなく、透明感のあるきれいな甘味は、牡蠣が苦手な人にこそ知ってほしい味です。

組合長で網元の前田さんは、ずっと水俣の海を見守り、いまも新たな挑戦を続けています。

 

水のきれいな、もうひとつの名所
 


水のきれいなことで知られる水俣市久木野では、毎年5月、竹筒に明かりを灯した幻想的な棚田の風景を見ることができます。形も様々な棚田は、機械を入れて農作業を効率化することが難しいため、耕作放棄地も増えています。そこで、イタリア産カルナローリ種を日本での栽培用に品種改良した「和(なご)みリゾット」という品種を栽培することで、米価の低い日本米とは違うところにマーケットを作ろうと活動を始めています。

 

水俣と連携したコミュニティづくり 津奈木(つなぎ)・芦北へ
 


日本最南端の天然醸造の日本酒蔵は水俣市の北、津奈木町にあります。代々、医者の家系だった竹田家は1916年(大正5年)に酒蔵となりました。というのも治療費代わりに農民が納める米が貯まりに貯まり、有効活用のために酒造りを始めたことが「亀萬酒造」の創業につながったそうです。

熊本でも南は焼酎文化圏。日本酒を仕込むには、もろみを冷やすため、水ではなく氷を使う「南端仕込み」を行うなど、暖かい土地ならではの苦労も。しかし、それが唯一無二の味にもつながっています。

 

津奈木町では自治体が舵をとって、無肥料、無農薬栽培のスイートスプリングづくりに挑戦していました。温州ミカンとハッサクを掛け合わせた品種で、16名の生産者が栽培しています。

 

風土の力と、安全安心の想いが詰まったサラダたまねぎも、この地域を代表する食材。自然に負担をかけない栽培に取り組む田畑和雄さんは、30歳からサラたま栽培を始め、今年で32年になる大ベテラン。JAの営農指導員として、地域の品質向上にも尽力してきました。3月最終の土日に開催される「サラたまちゃん祭り」は今年19回を数え、味を知るリピーターで行列ができるほどの人気ぶりです。

 


津奈木町の北に位置する芦北町には、自然を100%有効活用した黒砂糖がありました。精神障害を抱える人たちが自然に触れることで病を克服できるようにと始まったサトウキビ栽培。サトウキビは3mほどの高さに伸びるそうですが、糖度の高い地面から1mほどのところだけを使って作られます。

「ばらん家()」を立ち上げた、松原久美子さんは、「ぜいたくな使い方をしているようですが、糖度の低いところは畑に戻すなどして役立てます。雑草や絞りかすも堆肥に。先人の知恵を生かした、ムダのないものづくりです」と語ります。

黒砂糖は甘さがしつこくなく、すっきりとした後味。穏やかな酸のニュアンスも。パウダーのふわっとした口当たりは、液体に溶かしてしまうのがもったいないほどです。

 

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 “恵みを、つなぐ。”津奈木町で、環境配慮型農業を推進する篠原智和さん。

収穫直前の「サラたまちゃん」の畑の前で熱く語ってくださった田畑さん。

亀萬酒造、3代目の珠一(しゅいち)さんと四代目の瑠典(りゅうすけ)さん。

父は代々地元で飲み継がれてきた燗に向くこってり系の酒を醸し、息子は若い感性で、ワイングラスで飲んでも香りが鼻をつかない新しいタイプの日本酒を醸している。

ばらん家代表の松原さん。

 

「食べ物で病気になったのだから、食べ物で治せばいい」

 

水俣・芦北には「自然に対して加害者にならない」という意識を持ってものづくりをする人々がたくさんいました。それは水俣病が食べ物を通して広がったことも大きく影響しています。水俣病の語り部として知られる杉本栄子さんが残した「水俣病は食べ物で病気になったのだから、食べ物で治せばいい」という言葉は、人々を一つの方向に向かわせることになりました。

 

芯のある生産者の姿にシンパシーを感じてUターンする若者や、県内外から移住してくる人が水俣・芦北地域には増えているそうです。そこには個人の思いを汲み上げ、自治体が後押しをする、官民連携の理想的な姿がありました。公害から60年、水俣・芦北は、どこよりも持続可能な農畜産物、海産物が生まれる場所に生まれ変わったのです。

 

photographs by Hide Urabe