『この旅は夏にするのではだめだ、と誰かに言われた。
塹壕で戦った苦しみを理解するには凍え、冬、深い雪は不可欠だと』
パオロ・ルーミッツ『塹壕の狭間の木』より
  
チック・チャック、チック・チャック、、、ねっとりと厚いぬかるみにゴム長のかかとを押し込むように一歩一歩牛舎に向かって急こう配を下りていた。ジャンニが滑りそうになるのをみて笑っているうちに私の足元も揺らいで彼に笑われた。時折吹く冷たい風に首をすくめる。ボスニア・スレブレニツァの渓谷の片隅にあるユースフの牛舎前に私たちはいた。正面には荒涼とした山の斜面が霧の切れ間に見え隠れしている。ユースフの一家がここに住み始めてから3年間は電気すら通っていなかった。限られた環境に建てられた精一杯の牛舎だから周辺の排水もままならない。が、その小さな牛舎に入ると2頭の子牛が潤んだ目で私たちを迎えた。
「健康そうだ、メスかい?そうか、それは嬉しい。
と、いつもの抑揚のない、だが温もりのある声で満足そうにユーフスに言うと、ジャンニは手にした書類に子牛の出生時期、管理番号、牛の健康状態を書き込んで外に出た。満開のプルーンの白さが暗がりを出たばかりの目に飛び込んで眩しかった。
「ユーフスは子沢山なんだ。日本から持ってきたプレゼントだが少し多めにあげてくれないか?」ジャンニが私に耳打ちした。

10日で8000人が虐殺された町でジャンニが取り組むプロジェクト
 スレブレニツァの虐殺で生き残った人たちを支援するプロジェクト『Transumanza della Pace』を進めるため、ジャンニ・リゴーニ・ステルンがこの地に通い始めてから6年の月日が流れた。トレンティーノ県の資金協力でこの地の農家にレンデーナ種の乳牛137頭を連れてきて以来、彼がここを訪れるのはこれで39回目。毎回70件あまりの農家をほぼ全て巡回し、レンデーナの状況をこうして確認しながら飼育の注意点を与えてきた。この間、牛の飼育頭数も困難をみながらも170頭余りに増え、農家の様子も少しずつ変わってきている。
 ジャンニを頼りに手探りで始めた彼らの酪農経営は個々の限られた環境の中で成長したため、牛舎に収まりきれなくなるほど飼育頭数の増えた農家もあれば、牛の健康問題や出産してもメスに恵まれなかったりで頭数がなかなか増えない農家もある。抱える問題も今必要とするものも十人十色だ。「鎌が古くなってしまったがどこで買っていいかわからない」、「搾乳機が壊れたが、自分の年齢では手絞りではきつい」、「せっかく次の子牛が生まれても牛舎が小さくて売らなければならない」。
スレブレニツァの虐殺から20年、生き残った人たちも今ではその日を生き延びることよりも明日の豊かさを見つめるようになった。だが、まだまだその眼には飢えにも似た渇望がみられる。そんな彼らにジャンニは優しく我慢強く耳を傾けプロジェクトの運営状況を説明する。今回、ジャンニの娘イラリアも初めて父親に同行しボスニアに来た。
「パパのことはよく知っているけど、何にでもこんなに我慢する人じゃないのよ。

父親としてのジャンニ、人道活動家ジャンニ
彼女が見慣れた家族に厳しい態度とはかなり違う父親の姿に彼女も驚きを隠せない。私とイラリアはジャンニの背中を追いながら彼のすることの全てを追った。常に思慮深く集中力を欠くことなく作業をこなしていく。が、時折立ち止まり、こんなことを言った。
「聴いたかい、今、鳥の声がした。春はそこまで来ている。」
太い眉の下の彼の瞳は冷たい雨に濡れた遠くの緑を少しの間見つめた。
イタリアの乳牛レンデーナ種をボスニア・スレブレニツァの虐殺から難を逃れた人々に贈るこのプロジェクト『Transumanza della Pace』を進めるにあたりジャンニには3つの目標があった。まず彼らの経済力を向上させること、酪農を通した環境保全そして放牧環境の維持を共同で行うことにより民主的な社会を構築すること。
第1次世界大戦中最も悲惨な激戦区の一つとなり1万人ちかくが命を無駄に落としたアズィアーゴ高原に生まれたこの男は30年間山岳酪農の指導に携わってきた後、年金生活に入りこのスレブレニツァに平和な緑を取り戻す日を夢に描いた。飼育講習会を開き、理解力と熱意で人選し、牛を与えてからもこうして援助活動を続けてきた。その間、自分たちの旅費、通訳代はすべて彼が自己負担し、これまでイタリア中を北から南まで足を運び団体や個人から得た援助金は1セント単位まですべて酪農家たちの援助に充てている。例えばクラブ・パピヨンが『Cena in Compagnia(仲間たちの夕食会)』で集めた寄付金ではトラクターと牽引車を購入しスチェスカ地区の農家の人たちが共同で利用できるようになった。

7年目を迎えて事業も過渡期に
「見てごらんこの牛たちを!こんな風に牛を飼える牛舎がここにもあるんだ!

ジャンニは誇らしげだった。3日目の朝、一番にこの牛舎に入ると敷藁はよく乾いていて、牛たちには一点の汚れもない。乳房はまるで磨かれているように輝いていたし、排水溝もまるでキッチンのシンクのようにきっちりと洗ってあった。驚きだ!ピエモンテでもこんなに清潔な牛舎は見たことがなかった。ミズィチで二人の兄弟が営むこの農家をそのうち一人が教師をしていることからもジャンニは『Da Mèstro (ヴェネト方言で「マエストロのところ)
』と呼んでいる。
「モトコ、ここはよく聞いておくんだ。これはみんな彼らの上さんのおかげなんだよ!」
ジャンニは私にいたずらっぽく笑った後、真顔に戻るとメストロたちに「君たちのような農家はもっと牛の頭数を増やさないと嘘だ。地域でレンデーナ種が売りに出たものを買うか、さもなくばペッツァータロッサを買ってもいいから乳量を増やしなさい。」といった。奥さんを一瞥するとまたいたずらっぽく『彼女は嬉しくないかもしれないが』と続けた。彼女はうつむいて『これ以上牛にかけられる時間はない』と答えた。
「少しぐらい牛が汚れていても頭数の多いほうがいいんだよ。」とジャンニ。
すると彼女は頭を挙げてはっきりと言った。「私は母から教育をうけました。牛が汚れているとその母にとても叱られたんです。」
ジャンニが私を見て言った。
「わかるかい、こういう事が起こるから僕は前に進むんだ。、、、こういう人がいてくれるから!」 「だからってジャンニ、どうしてそこまで自分を犠牲して彼らの為に尽くすの?」
「犠牲ねえ、、、これが僕のファミリーの伝統なんだろう。

 7年目を迎えたこのプロジェクトは今、将来のチーズ工房建設を踏まえた新たな発展に向けて大切な過渡期に立たされている。安定した質と量の牛乳を各農家から冷蔵車で収集するシステムをさらに強固にしなければならないが、農家の規模や経営環境の違い、さらには農民特有の閉鎖的な性格を乗り越えた農家間のネットワーク作りは現在のジャンニにとって一番の課題になっている。
 これは山に生まれた一人の男の話だ。大きな体躯で口数は少なく、ひけらかす事を嫌い、他人の為に何かをしても何も見返りを求めない。この旅の間に彼が求めたものがあったとすれば、レンデーナ種の子牛のメスでまだ名前がついていないと知り彼の二人の娘イラリアとヴェレーナの名をつけてくれと頼んだことぐらいだった。
この物語はまだまだこれからも続く、、、


※ジャンニ・リゴーニ・ステルン(本名 Gianbattista Rigoni Stern)
深い人間性と優れた自然描写で今でもイタリア人に強く愛され、日本でも翻訳版が多く刊行されるほどの作家 を父親に持つことから彼も幼い頃から郷土の自然を愛して育った。大学で農学を専攻。林学と飼料作物学への造詣が深く、また自然感覚は鋭く繊細。一線を退いた後も地域行政から環境保護委員会などから意見を求められるなど『Transumanza della Pace』プロジェクト以外でも活躍し、地域内外の人々から大きな尊敬を集める。クラシック音楽にも造詣が深い。